御神体は守屋山という山であり、その麓に建てられていて豊かな社叢に覆われた境内は荘厳な雰囲気で、一年を通じて参拝客が絶えることがありません。 本殿はなく、幣拝殿の左右に片拝殿が並ぶ独特の配置で戦国時代、武田勝頼が造営した社殿は天正10年(1582)織田信長の軍勢によって焼き払われましたが、天正12年(1584)諏訪頼忠が上社を再興、現在の社殿は天保9年(1838)に二代目立川和四郎冨昌が棟梁を務めて建造されました。 片拝殿の彫刻「笹に鶏」「粟穂に鶉」は立川流の最高傑作といわれています。 境内のほぼ真ん中にある東西の宝殿は御柱の年の寅年と申年に交互に建て替えられ、新しい宝殿に祈りを捧げる宝殿遷座祭が行われます。
諏訪の信仰
諏訪大社は諏訪市の上社本宮、茅野市の前宮、下諏訪町の春宮、秋宮の4社から成り立っている。 歴史は古く、延喜式神明帳(西暦927)にもその名が載っている。 御柱神は建御名方命、八坂刀売命のご夫妻で祀られている。 古事記の国譲りの場面で、大国主命の息子として最後まで抵抗し、諏訪の地まで逃げてきて、幽閉された神である。 諏訪湖は一面の葦の原、此所を開拓した神として崇められている。 鎌倉武士たちには戦神としても尊敬を集める。 全国1万社の総本社である。 諏訪大社は、信濃国諏訪の地に鎮座のこと。「古事記」に明らかで、我が国最古の神社の一つであり、古来諏訪大明神・諏訪南宮大明神・諏訪南宮正一位法性大明神などと称した。 祭神建御方命は、大国主命の第二子で、兄事代主命と共に大国主命を助けて、国土経営の大任に当たられた。 この地の農耕・機織をすすめられた。 昔は狩猟の神・農業の神として神格を有したが、神功皇后三韓征伐に神威を顕現、文永弘安の役に外敵を退けられた。 由来国家鎮護の守護神として。 歴代武門・武将の崇敬篤く、鎌倉幕府は社領を寄進し、武田信玄は社殿を造営・祭祀を復興し、江戸幕府はまた社領1500石を奉献し、神徳を仰いだ。 大正五年官幣大社に列せられた。 現在は神社本庁別表神社。
○諏訪大社上社本宮
御神体は守屋山
○諏訪大社上社前宮
諏訪信仰発祥の地
本宮の東約2kmの所にある前宮は、祭神である建御名方神(たけみなかたのかみ)が国譲りで諏訪に退いたとき、最初に居を定めた地といわれ、古くは前宮があるこの地ですべての祭祀が執り行われていた、いわば諏訪信仰発祥の地です。 上古には大祝(おおほうり)の居館や付属するたくさんの建物が軒を連ねていましたが、近世初頭頃までに大祝が宮田渡に移ると祭典に必要な建物のみになりました。 しかし前宮は古くから上社の祭祀が行われた場所であり、最も重要とされる御頭祭(おんとうさい)は今でも前宮の十間廊で行われています。 現在の建物は、昭和7年に伊勢神宮の用材で建てられた本殿と、内御玉殿、十間廊となっています。
○諏訪大社下社春宮
大隈流建築の傑作、春宮
JR下諏訪駅から北西へ約1キロに位置し、その昔、大祝金刺一族をはじめ多くの武士たちが流鏑馬の腕を競ったといわれる真っ直ぐな通りを約800メートル進むと、静寂な森の中に社殿が建ち並んでいます。 建物の配置は秋宮と同じで本殿はなく、正面に神楽殿、その奥に幣拝殿と片拝殿、さらに奥に宝殿があり、宝殿奥にそびえる杉の木が御神木となっています。 秋宮が立川流であるのに対して春宮は大隈流の建造で、幣拝殿などの細部に施された彫刻などはまったく異質です。 これは江戸時代を代表する2つの流派が同じ図面で競い合って秋宮と春宮を建てたためで、春宮の幣拝殿は大隈流の柴宮長左衛門の手によって安永9年(1780)に完成しました。 大隈流の意地がうかがえる幣拝殿正面の彫刻が見事です。
○諏訪大社下社秋宮
立川流父子が注いだ技の冴え、秋宮
秋宮は、中仙道と甲州街道が交わる交通の要衝に位置しています。 下諏訪町の温泉街に近く境内の手水にも竜の口から温泉(御神湯)が流れ、正面の神楽殿は両脇を青銅製では日本一の大きさといわれる狛犬が守っています。 神楽殿は、上社本宮幣拝殿を手がけた2代目立川和四郎冨昌の手によって天保6年(1835)に完成しました。 その奥の幣拝殿や片拝殿は春宮と同じ造りながら、こちらは立川流の初代立川和四郎冨棟によって安永10年(1781)に建てられました。 彫刻が見事で拝殿内部の「竹に鶴」などは代表作です。 春宮と合わせ、建物の多くは国の重要文化財に指定されています。 幣拝殿の奥には御神木のイチイの木がそびえています。また、毎年2月には遷座祭、8月は遷座祭とお舟祭りが行われます。
○建御名方命
別名 建御名方神、建御名方冨命など
全国一万社を数える諏訪大社の主祭神であり、大国主命の息子とされる。 諏訪の地に入る時、地主神のモレヤ神と争うミニ国譲りがあったという。 八坂刀売神であり十三の御子神と共に信濃の国の開拓に尽力した事から、神話の戦神的な面と開拓の神としても尊敬が篤い。 全国一万社もの分社もこの二面性が影響し、戦国時代は戦神、安定期は開拓の神としていたのである。 古来より竜神と考えられた為の伝承も多い。 大和高木の尾掛松、お御渡り伝説などである。
○国譲り
古事記によると天照大御神は須佐之男命を葦原中国に追放したが、下界の様子が気に懸り天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)に統治させようとするが地上があまりにも荒れている為に、使者として天菩比神(あめのほひのかみ)を派遣するが、大国主命に媚びて帰らず、天若日子(あめのわかひこ)は大国主命の娘と結婚してしまう。 そこで、武神である建御雷之神を送り国譲りを迫った。 大国主命は返事を渋ったが八重言代主神は承知し身を隠された。 弟の建御名方神は承知せず建御雷之神と信濃は洲羽(諏訪)まで戦うが遂に降伏し諏訪の地から出ない事を約束したという。



