4月初旬のまだ冷たい風を突いて甲高い木遣りが響き、御柱は原山の綱置場を出発します。 「ヨイサ、ヨイサ」と声を合せ、太い綱を引く氏子たちは揃いの法被・腹掛け姿です。
上社の御柱の特徴である「めどでこ」に乗っておんべを振る者、梃子棒で柱の方向を定める者、取り巻く観衆。 それぞれの思いを乗せて上社の山出しが始まります。
4月初旬のまだ冷たい風を突いて甲高い木遣りが響き、御柱は原山の綱置場を出発します。 「ヨイサ、ヨイサ」と声を合せ、太い綱を引く氏子たちは揃いの法被・腹掛け姿です。
上社の御柱の特徴である「めどでこ」に乗っておんべを振る者、梃子棒で柱の方向を定める者、取り巻く観衆。 それぞれの思いを乗せて上社の山出しが始まります。
上社の御柱の通り道「御柱街道」は、茅野市穴山地区に差し掛かると急に道幅が狭くなります。 大きく張り出しためどでこの先端が道の両側の民家の軒先に触れないかと気にかかる頃さしかかるのが第一の難所、 穴山の大曲。道が狭い上に屈折しており、巨大な柱をうまく操ってスムーズに通過させるのは至難の業。 木遣りの声を合図に、男綱・女綱と呼ばれる曳き綱を引き、梃子棒をかませ、御柱はゆっくりとこの難所を通過していきます。 1日目の行程を終えた御柱は、子之神で一泊するのが習わしでしたが、最近は一気に木落し坂まで曳くことも多いようです。
2日目の難所は、茅野市宮川小学校の脇にある斜度27度の木落し坂。眼下の群衆を前に坂の上から徐々に姿を現す御柱。 「ここは木落しお願いだー」の木遣りに乗って、めどでこに大勢の若衆を乗せたまま、柱が一気に急坂を下ると沸き起こる拍手と歓声。 木落しは、男たちの度胸の見せ場であると同時に、綱係や梃子衆の技の見せどころ。 大歓声の中、御柱は技と度胸によって坂を下ります。
木落し坂を過ぎると待ち受けるのが、山出し最後の難所、宮川の川越しです。 御柱を宮川の雪解け水で洗い清める意味があるといわれ、水温10度以下の身を切るような冷たい流れに、我先にと飛びこむ姿は壮観です。 めどでこを左右に振りながら静かに水に入る柱、水しぶきも豪快に一気に落ちる柱、皆ずぶ濡れになりながら川を渡ります。
川越しを終わった8本の御柱は、安国寺の御柱屋敷に曳き揃えられ、5月の里曳きまで安置されます。
山出しから一カ月。晴れの舞台を待っていた御柱に、いよいよ華やかな里曳きの時がやってきます。 御柱屋敷を出た御柱は、大勢の氏子と見物客の中を、各社に向かってゆっくりと優雅に進みます。
安国寺の御柱屋敷を御柱が出発する頃、本宮からは神職や、「お舟」と呼ばれる神輿を担いだ白丁姿の山作り衆らが行列を作って御柱を迎えに出発します。 先頭の本宮一之御柱は、迎えの一行に続いて本宮を目指します。
里曳きは、山出しの豪快さから趣を変え、華麗で豪華な昔ながらの行列が特徴です。 騎馬行列や長持ち、花笠踊り、龍神の舞などが繰り出して御柱行列を盛り上げます。 騎馬行列は江戸時代の御柱警護が始まりとされ、往時の面影を色濃く残しています。 長持唄や長持甚句が唄われる長持行列も伝統的な姿を披露してくれます。
御柱を各神社の境内に建てることを建御柱といいます。本宮・前宮に曳きつけられた御柱はめどでこを外し、柱の先端を三角錐状に切り落とす「冠落し」を行って、御神木としての威儀を正します。
冠落しが終わった御柱にワイヤーやロープを付け、掛け声に合わせて車地が巻かれると御柱はゆっくりと立ち上がり、やがて直立。 先端に乗る氏子の手によって長さ1.5mの大御幣が打ち付けられると奥山のモミの大木は神となるのです。 翌日に御柱の根元を大木槌で叩いて固める御柱固祭が行われ、仮見立てから2年に及んだ柱の曳き建てが幕を閉じます。