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諏訪大社

古からの伝統を残す、
諏訪大社

諏訪大社は、長野県の諏訪湖周辺に4箇所のお宮をもつ神社です。信濃國一之宮、神位は正一位。全国各地にある諏訪神社の総本社であり、 国内にある最も古い神社のひとつとされています。
諏訪大社の歴史は大変古く、古事記の中では祭神である建御名方神(たけみなかたのかみ)が出雲で国譲りに反対し、諏訪までやってきて、そこに国を築いたとあります。また、日本書紀には持統天皇が諏訪大社に勅使を派遣したと書かれています。
諏訪大社

我が国、
最古の神社のひとつ

諏訪大社とその祭神“お諏訪様”は、古来より風・水の守護神で五穀豊穣を祈る神。中世には武勇の神として広く信仰され、現在は生命の根源・生活の源を守神として厚く崇敬されています。
その起源や由緒などは詳らかでありませんが、日本最古の神社のひとつに数えられています。10世紀初頭にまとめられた「延喜式神名帳」には「南方刀美神社(みなかたとみのかみのやしろ)」と記されており、当時すでに信濃国一之宮として信仰されていたことがわかります。 大正5年(1916年)に官幣大社に昇格し、終戦後の昭和23年に現在の「諏訪大社」へ改称されました。
諏訪大社

御神木と御神体を拝す神社

諏訪大社には本殿と呼ばれる建物がありません。下社秋宮はイチイの木を、春宮は杉の木を御神木とし、上社は御山を御神体として拝しています。古代の神社には社殿がなかったともいわれており、諏訪大社はその古くからの姿を残している神社といえるでしょう。
上社本宮 諏訪大社

神体山の信仰

上社の御神体は守屋山という山であり、その麓に社殿が建てられています。豊かな社叢に覆われた境内は荘厳な雰囲気で、一年を通じて参拝者が絶えることがありません。
本殿はなく、幣拝殿の左右に片拝殿が並ぶ独特の配置です。戦国時代、武田勝頼が造営した社殿は織田信長の軍勢によって焼き払われましたが、天正12年(1584年)諏訪頼忠が上社を再興。現在の社殿は天保9年(1838年)に諏訪立川流(※1)の二代目立川和四郎冨昌が棟梁を務めて建造されました。
片拝殿の彫刻「笹に鶏」「粟穂に鶉」は立川流の最高傑作といわれています。境内のほぼ真ん中にある東西の宝殿は御柱の年の寅年と申年に交互に建て替えられ、新しい宝殿で宝殿遷座祭が行われます。
※1 諏訪立川流:江戸前期に確立された宮彫の流派。江戸で生まれた立川流を学んだ諏訪出身の宮大工・立川和四郎冨昌が諏訪で独立。諏訪立川流の始祖となった。現在では単に「立川流」といった際には「諏訪立川流」を指すことが多い。
上社前宮 諏訪大社

諏訪信仰発祥の地

本宮の東約2kmの所にある前宮は、御祭神である建御名方神(たけみなかたのかみ)が国譲りで諏訪に退いたとき、最初に居を定めた地ともいわれます。古くは前宮があるこの地で上社すべての祭祀が執り行われており、諏訪信仰発祥の地といえる場所です。
上古には現人神とされる諏訪大社の頂点に位置する神職・大祝(おおほうり)の居館や付属するたくさんの建物が軒を連ねていました。近世初頭頃までに大祝が宮田渡に移ると祭典に必要な建物のみになりました。しかし、前宮は古くから上社の祭祀が行われた場所であり、最も重要とされる御頭祭(おんとうさい)は今でも前宮の十間廊で行われています。
現在の建物は、昭和7年(1932年)に伊勢神宮の古材で建てられた本殿と、内御玉殿、十間廊で構成されています。
下社春宮 諏訪大社

大隈流建築の傑作

JR下諏訪駅から北西へ約1kmに位置し、かつて下社の大祝である金刺一族をはじめ、多くの武士たちが流鏑馬の腕を競ったといわれる真っ直ぐな通りを約800mほど進むと、静寂な森の中に社殿が建ち並んでいます。
建物の配置は秋宮と同じで本殿はなく、正面に神楽殿、その奥に幣拝殿と片拝殿、さらに奥に宝殿があります。宝殿奥にそびえる杉の木が御神木です。
秋宮が立川流であるのに対して春宮は大隈流(※2)の建造で、幣拝殿などの細部に施された彫刻などはまったく異質です。これは江戸時代を代表する2つの流派が同じ図面で競い合って秋宮と春宮を建てたためで、春宮の幣拝殿は大隈流の柴宮長左衛門の手によって安永9年(1780年)に完成しました。技術の高さがうかがえる幣拝殿正面の彫刻が見事です。
※2 大隈流:立川流と並んで江戸時代を代表する宮彫りの流派。江戸の立川流もこの大隈流の分派のひとつ。
下社秋宮 諏訪大社

立川流父子が注いだ技の冴え

毎年2月に遷座祭、8月には遷座祭(お舟祭)が行わることでも知られる秋宮は、中山道と甲州道中が交わる交通の要衝に位置しています。
下諏訪町の温泉街に近く、境内の手水にも竜の口から温泉(御神湯)が流れ、正面の神楽殿は両脇を青銅製では日本一の大きさといわれる狛犬があります。
神楽殿は、上社本宮幣拝殿を手がけた二代目立川和四郎冨昌の手によって天保6年(1835年)に完成しました。その奥の幣拝殿や片拝殿は春宮と同じ図面で造られながらも、こちらは立川流の初代立川和四郎冨棟によるもの。安永10年(1781年)に建てられました。彫刻が見事で拝殿内部の「竹に鶴」などはその代表作です。春宮と合わせ、建物の多くは国の重要文化財に指定されています。
そして、幣拝殿の奥にあるのが御神木のイチイの木です。